~風吹くままに 心のままに~

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カテゴリ:風の旅 しまなみ海道( 18 )

とびしま街道~しまなみ裏海道~

『安芸灘とびしま海道』、最近巷ではちょっとした注目ロード♪ しまなみ海道のように高速道路を駆け抜けるのでなく、島々の農道を整備しながら7つの橋でつなぎ、瀬戸内の風光明媚な島々の景色をもっとゆっくりと堪能できる『キラリと光る』ビューティフルロードなのです!!
場所は↓の緑の囲み、広島/呉と愛媛/今治を道路と海路でつなぐコース。
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途中には朝鮮通信使や江戸時代西国大名の参勤交代寄港地となった建物遺構や映画『海猿』のロケ地などが楽しめる上下蒲刈島、倒幕に動く幕末諸藩の志士が密会した大崎下島御手洗地区のレトロな港町の町並みなど、おいしい魚料理を堪能しながらゆっくりと時間を費やしたい方にはもってこいのツアーコースです。
◆安芸灘大橋(この橋のみ有料です) ルート中最も大きい橋です
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◆蒲刈大橋 ルートの中では最も古い橋で、トラス橋という構造の橋です
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◆豊島大橋 安芸灘大橋と同じく吊り橋です
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◆豊浜大橋 蒲刈大橋と同じくトラス橋構造です
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と。。。ここまで来たところで時間切れ、橋を渡った先の御手洗の町並み散策が今回のメインで、坂本竜馬の足跡を久々に訪ねたかったのですが残念。。。また来夏、今治への帰省の折に再訪しましょう!!
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by kazemachitaro | 2013-10-13 17:59 | 風の旅 しまなみ海道

登泉堂。。。今治の新名所?

 この季節に今治を訪れる観光客は、今治城には行かずとも
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 コチラにはガイドブック片手に、気長に並ぶ列を作ります。
 今治で列ができる場所はココくらい(笑)でしょうか!!
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 観光ガイドブックには、絶品のおいしいかき氷が食べられるお店としてしっかりと記載されていますが
 今治市民でもおそらく近所の人しか知らない、昔からある普通の和菓子屋さんだった記憶が?
 いつのまにか今治の新名所になったのでしょうか。しまなみ海道の効果恐るべしです!!

 ※ちなみに、今治城は日本三大水城のひとつで、
   城普請の名人 藤堂高虎が築城したお城として有名です。 出世の代償 今治城
by kazemachitaro | 2013-07-20 23:11 | 風の旅 しまなみ海道

流れる海~しまなみ潮流体験~

 1年に一度の帰省 流れる海を体験してきました
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 時速約20キロで流れる船折瀬戸
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 日本有数の急潮な海の流れはまさに川のごとく
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 そして、海底の岩に当って湧き上がってくる波模様
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 渓谷のように音を立てて流れていきます
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 古の村上水軍の海。。。今年もしまなみ海道を満喫して来ました♪♪
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   風のしまなみ旅 伯方大島大橋編 水軍盛衰

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by kazemachitaro | 2010-08-28 22:53 | 風の旅 しまなみ海道

平山郁夫画伯。。。しまなみ海道に想う

過日、日本画壇の重鎮:平山郁夫画伯が亡くなられました
シルクロードと仏教伝来をテーマとする画伯の作品と功績の数々はあまりにも有名ですが、
風は。。。画伯の出身地広島と私の故郷今治を繋ぐ架橋、しまなみ海道の開通を記念して
作成された『しまなみ海道五十三次』のデッサン作品がお気に入りです。
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なかでも、画伯はこの来島海峡大橋を描きながら、
大島と今治を結ぶ来島海峡大橋は、小島を三つほど、ぽん~と跨いで橋が架けられている。飛石を行く夢の橋となっている。~中略~青い海に、緑の島を縫って白い橋が大島から今治に結ばれる姿は、神和の物語が、夢が、現実に出現している。。。『天駆ける白い橋』  とのコメントを残されています。
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しまなみ海道のそれぞれの橋を訪ねると、画伯がデッサンされた場所にその絵の陶板レリーフが残されており、原画は瀬戸田町にある『平山郁夫美術館』に所蔵展示されています。
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まさに、夢の架け橋。。。子供の頃には思いもしなかったこの景色なのですが、橋が出来て10年、
遠く離れて田舎を想うときに出てくる最初の景色となりました!!

そんなきっかけで、平山郁夫画伯の名前を知ることとなると、これが不思議と行く先々で画伯の作品に出会います。佐久美術館やポーラ美術館、特に島根/安来にある足立美術館で見た『祇園精舎』には、しばし佇むほどに引き込まれました。他にも、薬師寺/玄奘三蔵院の壁画などなど、風の旅の中で比較的身近に感じられる画伯でありましたので、とても残念です。ご冥福をお祈りします。

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by kazemachitaro | 2009-12-23 23:56 | 風の旅 しまなみ海道

故郷の夏

 来島海峡大橋を渡っての年に一度の帰郷は。。。食欲の夏と化します!!
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 鯛の水軍焼
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 アコウの姿造り
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 鯛の塩焼き
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 しまなみ海道。。。来島海峡大橋は延長4キロあまりの世界でも類を見ない
 吊り橋3連長大橋で、国内でも3番目と4番目の長さを誇ります。
 その真下を流れる来島海峡は日本3大潮流のひとつで、潮流にモマれた
 身がしまった鯛は。。。ほれっ御覧のとおり。。。たまらんわい(笑)
 風。。。のお勧めは
    大島の亀老山展望台&民宿名駒さん&民宿千年松さんです

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by kazemachitaro | 2009-09-05 01:33 | 風の旅 しまなみ海道

2007夏 しまなみ海道 来島海峡大橋

  最近、サザエさんのオープニングで登場する来島海峡大橋
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  ふるさとを離れ20数年、毎夏の帰省ルートで、一番最初に迎えてくれる景色であり
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  最後に見送ってくれる景色となってもう8年近くが経ちました。
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  いつみても見飽きること無い、世界に誇れる長大三連橋です!!
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  おまけ:2006夏 しまなみ来島3連橋夕景

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by kazemachitaro | 2007-08-12 21:36 | 風の旅 しまなみ海道

しまなみ海道 来島3連橋~夏休みの夕景~

  昨年12月冬のしまなみ来島海峡の夕景&ライトアップを
  ご紹介しましたが、今回は夏の夕景です。。。
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  夏の夕陽に鮮やかなオレンジの照り返しを見せる海
  夕陽 海 空 雲 島 船 そして来島大橋
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  なんとも贅沢、でも期待通りの景色、
  今年も帰ってきてよかった。。。

  PS:冬の景色もどーぞ。。。
    クリスマスイブ~来島大橋~
    クリスマスイブ~夢の架け橋ライトアップ~

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by kazemachitaro | 2006-08-30 22:37 | 風の旅 しまなみ海道

しまなみ海道への想いNo7 来島海峡大橋  

 ☆夕暮れの来島海峡大橋
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  今治と大島の間に約9年の歳月をかけ完成した世界初の3連吊り橋
  総称で来島海峡第一大橋(960m)、来島海峡第二大橋(1515m)、
  来島海峡第三大橋 (1570m)と3つの橋の延長は約4キロにも
  なります。
  ケーブルの大きさは一本が5ミリの大きさのワイヤーを直径65センチくらい
  まで束ねたものが使われ、この5ミリのワイヤーを一本につなぐと約10万キロ
  地球2周半の長さに相当するとか。
  また使われた鉄の重さは約10万トン、東京タワーを25基分、コンクリートの
  量はミキサー車が10万台分もの量が使われているとか。

  日本では明石海峡大橋(世界1位)、南備讃瀬戸大橋(世界10位)
  次いで、第三大橋(世界14位)、第二大橋(世界15位)と国内では3番目、
  4番目の長さとのことです。

☆明石海峡大橋(転用フリー写真集 明石海峡大橋の風景さんから)
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☆南備讃瀬戸大橋
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 ☆来島第二大橋
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☆来島第三大橋
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  南備讃瀬戸や明石海峡大橋に比べ、橋げたそのものの厚さがとても
  スリムで、まさに吊り上げられているかのごとく、ふわふわと
  海峡に浮かぶようにみえませんか?
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  ☆日本版リトルロマンス
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  来島海峡大橋にはまだ秘密があります。冬至をはさんで年に2回、11月20日
  前後と1月の半ば頃に、ちょうど下から見上げた主塔のど真ん中に
  燃える太陽が沈んでいく
、とても素敵な光景に出会えるそうです
  (写真がなくて残念)。恋人達の愛を誓う日本版リトルロマンスですね!!

 ☆来島海峡&来島村上家
  来島海峡は一日およそ1000隻が往来する国際航路で「一に来島、
  二に鳴門、三にくだって馬関瀬戸」
とうたわれたように鳴門海峡、
  関門海峡とともに日本三大急潮(他に長崎針尾瀬戸?)として
  知られています。
  
  瀬戸内海随一の難所、ここ来島も村上水軍3番目の来島村上家
  活躍の拠点があったのです。来島村上家は室町時代より伊予の守護大名
  河野氏
の重臣で戦国時代は他の村上家と同様、毛利の水軍として
  働きましたが、後に毛利を攻める豊臣に寝返ったため、能島&因島村上家に
  攻撃されて水軍としての勢力を失い、秀吉のもとへ走りました。

  秀吉が全国統一を果たした後、伊予国の内で1万4000石の大名となって
  村上から来島氏へ姓を改め、関が原では豊臣を離れ東軍につき
  大名のまま豊後(大分)へ、再び来島から久留島氏と改め明治維新まで
  森藩藩主として続いたとか。
  
  残る2家の能島村上家、因島村上家は毛利方であったため秀吉に疎まれ、
  海賊禁止令によって家としての勢力を失い、毛利家の萩藩士となって
  以降は御船手頭として明治まで続いたとか。
  
  さてさて、袂を分かった来島村上家は陸に上がっても上手く時勢にのった
  波のり上手だったようですね!!

 ☆想い届いていますか。。。
  しまなみ海道への想いNo1で触れた今回の旅へのきっかけ。。。
  7年前、病床にあった彼女は故郷に架かる瀬戸大橋開通のニュースを
  対岸の広島県/福山の病室からテレビで見ながら、元気になって橋を
  渡って帰りたい。。。と言っていたそうです。

  容態は急変し、駆けつける身内の行く先を阻んだのが皮肉にも
  しまなみ海道。
  開通間もないしまなみ海道は、観光客でごった返し、2時間で行けるはずの
  距離が8時間余りもかかったとか。。。

  そして病気だということさえ知らなかった風待ちは、その日得意先の
  お客さんを四国~広島へと案内し、東京へと帰る新幹線で福山の街を
  走りぬけて。。。翌日早朝に訃報の連絡が。

  なんというめぐり合わせなのだろうか、なぜ知らせてくれなかったのか。。。
  福山で降りていたら彼女に会えたはずだった。。。
  幼少の頃、父を亡くした風待ちは、母の働くあいだ伯母の家に預けられ、
  4歳年上の彼女には弟のように可愛がられた。。。
  亡くなる6年前の彼女の結婚式で素敵な花嫁姿を見たのが最後、
  いつも会いたいねと言っていたのに!!

  お葬式の伯母のしまなみで連れて帰ってやりたかったの言葉が、
  もう何度もしまなみ海道を走るたびに思い出されながらも、
  つい先を急ぐ余り駆け抜けるだけだった

  昨年末、気が付けば7回忌を迎え、形見分けの彼女の写真を持って、
  初めて瀬戸に映えるしまなみ海道の景色や観光地を写真に収め
  アルバムにして伯母へ手渡した。。。ありがた迷惑だろうか。。。不安だったが、
  後日伯父から、仏壇に置いて喜んで一日に何度も見てるよとの話を
  いただいた。。。
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 7年越しのしまなみ海道への想い、飽きずにこのシリーズを見にきて頂いた
 みなさん、お付き合いくださって感謝します。。。

          by  kazemachitaro

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by kazemachitaro | 2006-01-26 02:57 | 風の旅 しまなみ海道

しまなみ海道への想いNo6 伯方大島大橋編 水軍盛衰

 ☆カレイ山からの伯方大島大橋
  船折灯台、船折の瀬戸といったこの付近を航行する船にとっては、
  ありがたくない名前の付く急流をまたぐのが、1988年に開通した伯方大島
  大橋
です。けた橋の伯方橋(全長325m)と、つり橋の大島大橋(全長840m
  中央支間560m)がドッキングした珍しい構造とのことです。
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  写真は大島カレイ山展望台から伯方大島大橋と宮窪の瀬戸を見下ろした
  ところですが、左真ん辺りには白波を立てた潮流が流れているのが
  わかると思います。干満の大きい季節には渦潮も現れ、
  5月~10月の潮流体験では漁船にのって能島周辺を周遊。渦潮を間近で
  見ることができます。参:中国新聞写真より
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 ☆船折瀬戸
  なぜ、船折の瀬戸と呼ばれるのか。。。は前回書きましたが、カレイ山からの
  写真を見れば、一目だと思います。
  左下が伯方大島大橋方面で、こちらから来た船は、まず90度左に曲がり、
  赤い灯台(見えるかなァ?)の辺りから今度は右に90度曲がって燧灘へと
  向かいます。

  風光明媚な景色とはうらはらに、潮流の激しいここは操船のきわめて難しい
  海の難所なのです。
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  海上保安庁の海図にも書かれていますが、右に曲がるルートもありますが、
  ここは島と島の間が狭く、暗礁も多くあって、おまけにちょうど真中に
  能島という島があることからほとんど船は通りません
  (漁船やレジャーボートは別)。おまけに潮流が早く、毎年操船ミスで
  海難事故が多発するわけです。 参:海上保安庁海図
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 ☆水軍大名 能島村上家栄華
  能島は海の難所であるがゆえに、彼らにとっては絶好の拠点
  なった島なのです。彼ら。。。そう村上水軍3家の惣領で最も武装集団
  とされた能島村上家
  特に室町~戦国にかけての村上武吉の時代には、どこの有力大名にも
  属さない海の大名として大いにその名を馳せます。
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  能島村上氏は写真の真中にある島に(潮流の早い様子が模様と
  なっているのが見えますか)水軍城を築き、ここを拠点として活躍。
  陶晴方との厳島合戦長門の大内氏を海上封鎖に追い込み、
  安芸の大名に過ぎなかった毛利元就が中国の覇者にまでなる過程での
  能島村上氏の活躍は目覚しいものがありました。
  
  また、織田信長が石山本願寺攻めを強行した際に本願寺への
  兵糧米を送ろうとした毛利水軍と織田水軍との木津川の戦い
  織田水軍を壊滅させたり。。。と瀬戸内海の制海権を握るほどの
  勢いでした。。。

 ☆海賊禁止令。。。
  ところが、行動をひとつにしていた村上3家も時代の権力に翻弄され
  始めます。毛利を攻める為に中国攻めをしていた豊臣秀吉に
  来島村上家が凋落
され、これに怒った毛利は同族家の因島
  能島村上家に対し、来島村上家を攻撃させこれを追放してしまいます。
  ところが、信長の死をきっかけに秀吉と毛利の和睦が成立すると秀吉は
  能島村上家を憎み、毛利と村上の間にあった小早川隆景も秀吉側に
  なびき始め、毛利も秀吉の手前、村上家の後ろ盾になることが出来ず
  海賊禁止令が出されると能島村上家は秀吉に瀬戸内海の
  制海権を完全にもぎ取られてしまいます。

  その後、このしまなみ海道のエリアに居住することが許されず、九州や
  山口方面へとバラバラ(取り潰し)となり、水軍大名としての能島村上家の
  幕は閉じることになります。

  さて、その後村上3家はどうなったか。。。
  それはいよいよしまなみ最後の橋、来島海峡大橋を眺めながらの
  お話にしましょう。

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by kazemachitaro | 2006-01-25 01:09 | 風の旅 しまなみ海道

しまなみ海道への想いNo5 大三島橋編 湧き上がる海流

 ☆本州四国連絡橋3つルートの中で唯一アーチ橋が架かっているのが
  大三島から伯方島をつなぐ大三島橋です。
  この橋は、3架橋の中でも一番早くに着工1979年に完成され、
  当時では橋長328mの国内最長のアーチ橋でした。
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  伯方島は「伯方の塩」のブランド塩産地として有名になりましたね。
  残念なことに今は島そのもので塩田から塩を作ることはなく、輸入した
  岩塩を加工して作っているらしいです。
  伯方島という名前の由来は、島内にある喜多浦八幡神社が九州博多の
  箱崎宮
より分霊勧精し創設されたと言われており、伯方島の名前も
  博多=伯方から名付けられていると伝えられています。

 ☆伯方島にはこれといった観光地はありませんが、大三島橋の架かる
  鼻栗の瀬戸、次回紹介する大島との間の船折りの瀬戸に囲まれた
  潮流の難所があります。
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  写真は船折り瀬戸、名前の由来は航行中の船が激しい潮流で真っ二つに
  折れた
ことに由来され、潮流は最大9ノット(17km/h)
  及ぶといわれます。
  写真に向かって右側→左側に潮が流れている様子がわかりますか?
  向こう側の船は潮流の流れに乗って楽に進んでいるようで、手前側の船は
  潮流に逆らって進んでいるので、舳先で切り分ける波も大きく苦労している
  ように見えませんか(船のカタチが違うから当然?)。
  左下の海面がもわぁ~となっているのは海底の岩に潮の流れがぶつかって
  沸きあがってきているためです。
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  この写真を見れば、手前から向こう側に、まさに川のように潮が流れて
  いるのがわかると思います。
  村上水軍はこの潮流の流れに対し巧みに船を操り、縦横無尽に難所を
  通り抜けていたらしく、いわばここを通る船の水先案内の役目をしていた
  とも言われ、伯方島はその根拠地のひとつだったわけです。
  前に読んだ直木賞作家の白石一郎「海狼伝」には、ここ伯方島の
  地名がふんだんに登場する日本の海賊の姿を描いており、そのイメージを
  より一層強くした潮流の流れでした。

 ☆伯方島(大三島橋)への想い
  しまなみ海道が開通前で本州尾道や三原と今治を結ぶ高速船やフェリーは
  必ず大三島橋の下をくぐっていました。ちょうど航路の中間点で、帰省の
  折などに船に乗ってこの橋の下まで来ると、もう少しで田舎だぁ~と嬉しく
  なった思いがあります。
  
  さて、だんだん四国に近づいてきました。次回は船折の瀬戸をまたぐ
  伯方島と大島を結ぶ伯方大島大橋を渡り、大島のカレイ山からの
  「なるほど船折の瀬戸。。。」を振り返りながら、能島村上水軍
  紹介します。

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by kazemachitaro | 2006-01-24 01:55 | 風の旅 しまなみ海道
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 のんびり気ままな      ちょこ旅ブログです


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