~風吹くままに 心のままに~

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カテゴリ:風の旅 維新( 12 )

風の旅:下関偏~龍馬伝追記~

 学生時代、坂本龍馬に触発された親友に対し、じゃぁ俺は高杉晋作で。。。
 なんて夢中になり始めた維新の時代、そんな訳で今回の龍馬伝での
 高杉晋作の演出は俳優:伊勢谷クンの好演(顔ももしや似ている?)も含め、
 なかなかに手が込んでいて、とても好印象です!!
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 これまで、前回の竜馬がゆく以降、龍馬と晋作の接点を描く数々の映画やドラマが
 ありましたが、二人のお互いを認め合う畏敬や友情を描いた場面は
 ほとんど記憶にありません
 。。。そのうえ、二人にかかわる女性、おりょうさんとおうのさんの二人のシーンまでも
 何気にカットインさせるプロデューサーさん、なかなか『あっぱれ』です♪
 
 ただ、最近入り始めたクライマックスへのカウントダウンナレーションは
 少々煽り気味のような気がしないでもありませんが、確かにこの二人は
 くしくも同じ年に無くなる運命、龍馬伝も佳境になってきましたね!!
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                     晋作&龍馬の駆けた街
             (詳細は左記カテゴリ:風の維新旅の記事参照)
 
さて、龍馬からの手紙を涙ながらに読む晋作
             その背中をそっと支えながら泣くおうのさんのシーン。。。はてどこかで?
 
       この次の夏は もう逢えないだろう
                 お前のささやきが 今はただ心地よい
       生きていられるのは今だから お前がいて俺が泣くそれでいい
       いさかいの中で 夏が消えて行く
                 あれは夢だったのか 天国の入り口か
       多くの強者が 先に行っちまった
                 見るべき世の中を 胸にしまったまま

          『うのひと夏by高杉』より歌詞抜粋 作:吉田拓郎

   20数年前の拓郎のCDを引っ張り出して聴いてしまいました、
                                。。。イメージは近いかも♪

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by kazemachitaro | 2010-10-11 02:07 | 風の旅 維新

龍馬が駆ける。。。再び龍馬脱藩古道です

  龍馬脱藩古道(ストック写真より)
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  龍馬が土佐藩を脱藩し、倒幕のため長州(山口県)を
  目指す決意をしたのは1862年の冬も終わるちょうど今頃
  前回、龍馬の脱藩古道(愛媛編)を紹介しましたが、
  今回は高知県側梼原から四国カルストの麓を抜ける
  愛媛県への県境脱藩古道を紹介します。。。

  ☆梼原から峠を駆け上ってきた分岐 韮ケ峠
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  ☆峠を越え、山の中の間道を一気に下り始めます
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  ☆滝が見える清水で休憩したのでしょうか。。。傍の龍馬堂なる
  休憩所には怪しげな人形が?
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  ☆お堂から川沿いの道を少し下って川を渡り、再び山道を榎ケ峠へ
  ここは龍馬が泊まりし宿として今も営業中。。。
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  ☆さらに峠を登りつめると。。。 ついに車では行き止まりとなってしまいました
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  この先の榎ケ峠を越えて、前回の御幸橋へと現われたのですね。。。
 
  愛媛高知県境の峠みちは、故郷土佐に別れを告げる脱藩ハイライトシーン
  山間の古道は龍馬の足音と息づかいが今にも聞こえてきそうな雰囲気を
  残しています。

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by kazemachitaro | 2007-03-17 03:37 | 風の旅 維新

龍馬が駆けた脱藩の道(愛媛河辺村~内子編)

坂本龍馬脱藩の道

龍馬が倒幕実現のため土佐藩を脱藩、倒幕派の集う長州・下関を
目指したのは1862年4月22日)28歳の春だったと言われています。   
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司馬遼太郎が日本のチベットと称した高知県梼原町から愛媛県野村町、
内子町に至る山間部の山道は龍馬脱藩道として龍馬ファンの間では
ここを実際に歩くことがちょっとしたステータス?。
それゆえか、文化庁が1996年(平成8年)11月「歴史の道百選」に選定した
ルートが点在し、史跡、記念碑などが整備されています。
そこで今回は愛媛県河辺村辺りの龍馬脱藩ルートを紹介します。
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日本版マディソン郡の橋(後日UPします)とも言われる御幸橋。
古来より神様の通る橋として、釘の使われていない桧皮葺き屋根付き橋です。
龍馬は榎ケ峠~この橋のそばにある山道を下り、この橋を渡ったらしい。。。
橋の袂には龍馬通りし道by武田鉄也の碑が立ってます。
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整備されているといっても、古道そのものは人ひとりが往来できるか
どうかのようなとんでもない山道も多く。。。高知~愛媛(内子町)までの
全行程を徒歩で走破することは大変です。
もちろん、全てが山道ではありませんので、車を使い、県道や国道ルートで
距離を稼ぎながら、それと交差する峠や山道の入口、出口を抑えていくのが
基本的に楽かと。。。
何処がポイントになるかは、それぞれに必ず案内表示が出ています
(国道、県道といっても舗装はされていますがナンじゃコリャ。。。
と思ってしまう難所道が多いです)。
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御幸橋を渡った龍馬は一気に泉ケ峠~内子町への峠越えを目指します。
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車で少し迂回の県道ルートを走っていると龍馬古道への案内板が。。。
泉ケ峠。。。昔はこの辺りに宿屋があり、ここで龍馬は宿泊したとか
龍馬が歩いた山道、見た景色は140年余り経た今でも当時の面影を
残しています。
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峠を越えるたびに2度と足を踏めないかもしれない故郷への想いと、
いよいよ本格的に明治維新の歴史の表舞台へと飛び出していく
龍馬の決意を身近に感じ、一体感を味わえますね。
脱藩はちょうどこの季節。。。龍馬もこの山桜を見たのかなぁ?
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『龍馬脱藩の道』はネット検索すれば、観光協会や実際に歩いた驚くほどの
全国龍馬ファンがいろいろ情報をUPしてくれていたり、高知~愛媛県境の
各エリア龍馬脱藩道を歩くといったイベントが開催されていますのでご確認を!!
参考:河辺村イベント ~わらじで歩こう~龍馬脱藩の道
   開催:毎年9月の第2日曜日
   料金:前夜祭 3,000円 当日 2,000円
   主催:大洲市役所河辺支所 企画商工課(予約) TEL0893-39-2111
   備考:例年通りの開催かは要確認願います

少しルートを外れますが、河辺村にある『飛翔の像』です 
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↓クリック拡大
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↓クリック拡大
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そばには龍馬脱藩の日記念館や才谷屋(宿泊施設)などもありますよ。

さて龍馬の愛媛最後の宿泊がこの長浜(肱川河口)
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ここからいよいよ下関の白石正一郎宅を目指し愛媛をあとにするのでした。
(河口そばの商家跡に龍馬宿泊の碑が立っているとか。。。今回とり損ねました)。
        その続きはこちらへどうぞ~!!  

エピソード:龍馬はこの肱川を下る途中にあった大洲藩とは少なからずの関係が
    あります。後に龍馬はこの大洲藩が購入した小型蒸気船を借り
    『いろは丸』として海援隊の活動を始めますが、
    瀬戸内海:鞆の浦沖での紀州(和歌山)藩の船と衝突し、
    いろは丸は沈没してしまうのです。
    現在、鞆の浦にはそのいろは丸記念館や滞在していた住居碑があり、
    昔の港町の面影を多分に残す鞆の浦も龍馬が歩いた足跡を辿るには
    欠かせない場所です。
    いろは丸記念館の近くにある保命酒のお店の女将さんは龍馬談義が
    大好きで、話始めると止まらず、買うつもりの無い保命酒をいつのまにか
    沢山買わされてしまいますのでご注意を?
    なぁんて、いやいや沢山買ってあげましょう。
    鞆の浦でしか販売していない龍馬も間違いなく飲んだお酒ですよぉ~!!
     参:龍馬を訪ねて鞆の浦へ  
    
    
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by kazemachitaro | 2006-04-16 04:55 | 風の旅 維新

~国宝 住吉神社~下関維新の道おまけ!!

住吉神社は長門の国の「一の宮」で、式内社としての格式をもつ
わが国有数の神社です
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応安三年(1370)大内弘世寄進による檜皮葺の古社本殿で、五殿ならんだ
本殿は国宝
。一間社流造りという形式の五つの社殿を相の間をもって連結した
もので、柱間が九つある九間社流造りという他に例のない珍しい形式だとか。
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御祭神は本殿向って左から
第一殿 住吉大神・荒魂   第二殿 応神天皇
第三殿 武内宿祢命     第四殿 神功皇后
第五殿 建御名方命
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五つの社殿の各正面には、千鳥破風という小さい屋根がつけてあって、流造りの特異な形式をつくっている。
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俗に「海の神」とされ大和政権の玄関口にあたる大阪市住吉区や海路にあたる
下関市一の宮住吉や福岡市博多区住吉(この三社が日本三大住吉)が、遣唐使をはじめ大陸との渡航を守り、奈良時代以前より外交・貿易、またあらゆる
産業を守護する神として称えられてきたそうです。
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by kazemachitaro | 2006-04-08 22:30 | 風の旅 維新

~晋作&龍馬の駆けた街 下関part7~城下町長府!!

「長門の国府」がつづまって長府と呼ばれるようになったといわれる町。
四百年前、萩本藩・毛利元就の支藩として築かれた城下町で、こぢんまりとした町割には、現在もいたる所に風情ある武家屋敷や土塀が残されています。
そんな長府の町並みを散策してみましょう。

菅家長屋門(かんけながやもん)
 長府藩侍医兼侍講職を務めた格式ある家柄の長屋門で、門戸の間口が武家のそれよりもわずかに広く造られています。
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また長屋門を中心に左右に延びた石垣の上の練塀は長府城下町の年輪を象徴する代表的なものだとか。
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かどを曲がれば切り通しの土塀(惣社町~古江小路町)
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長府はこの他にも、「日本に乃木のような大将が生きてゐたならば此の戦争は起こらなかったであろう」とマッカーサー元帥が評した、乃木大将を祭る乃木神社など近代史に重要な足跡を残した人物ゆかりの場所もあります。
土塀から見える椿の花が城下町にはとてもお似合い?
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さてさて、晋作と龍馬の駆けた街下関シリーズは今日で終わります。
晋作は下関でその最期を終えましたが、下関から東へ15キロほど離れた
小月(吉田)の東行庵にお墓がありそこに眠っています。
下関市内に残る終焉の地
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維新の長州路は他にも山口や萩にも多くの見るべき史跡がありますが、20年前のデジカメが無い頃の風待ち訪問歴はアルバムの中にしっかり張りついており、残念ながら紹介できません!! しかし、多くの方がブログやサイトで画像UPされてますので風待ちがご紹介するまでもないでしょう。。。当時から新しく出来た歴史館などの施設もあり、またの機会に訪ねてみたいと思います。

風待ちブログの中で維新の足跡に関するお話をしている記事
龍馬を訪ねて鞆の浦へ
再び維新の舞台を訪ねて
晩秋の厳島~勝海舟と木戸孝允会見の場
越の雪 高杉晋作~雪見盆栽
先日、このブログを書きながら、坂本龍馬~脱藩の道~を訪ねてきました
もう少し後にUPしたいと思いまぁす。。。
     『おもしろきこともなき世をおもしろく』(晋作辞世上の句)
          ♪~平成維新は夢のまた夢???~♪(風待ち下の句)

晋作と龍馬の駆けた町~下関編へのお付き合いありがとうございました。
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by kazemachitaro | 2006-04-08 00:40 | 風の旅 維新

~晋作&龍馬の駆けた街 下関part6~功山寺!!

下関から程なく離れた城下町長府。毛利藩の支藩として下関が経済の中心だったとすれば、長府は政治、行政の役割を担っていた町。こじんまりとした昔ながらの城下町の風情を残すここにも維新の足跡は大いに残っています。

功山寺 国宝仏殿
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鎌倉時代建立の代表的な木造の禅宗様建築で、典型的な唐様仏殿としては、我国最古。二重屋根入母屋造りの桧皮葺、扇垂木に花頭窓、柱は上下部を細めた粽型で礎石と柱との間に礎盤を入れ、内陣の天井は鏡天井で石南花を描き、外陣は化粧屋根裏、床は四半瓦敷で建物は一切彩色せず。鎌倉の円覚寺舎利殿と共に仏殿建築の代表と云われています。←専門的すぎて功山寺公式HP協会の説明をそのまま拝借!! ↓クリックアップ
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仏殿は国宝であり、本尊の千手観音は晋作挙兵の時もその暖かいまなざしで
送り出していたのでしょうか?
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高杉晋作の名を歴史にとどめた主な仕事は、奇兵隊の結成、功山寺挙兵、第2次長州征伐の幕軍の撃退の3つだと言われています。なかでも功山寺挙兵は、これが失敗していたら明治維新は何年か遅れていただろうといわれるほど重要な場面であったとのことです。
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蛤御門の変(長州が京都から追い出され、賊軍となった)、4国連合艦隊の来襲(イギリスなどの軍艦による下関砲撃で完敗)によって藩難を迎えた長州藩は、ひたすら幕府への従順をあらわし、幕府も勢いにのって長州征伐の軍を進めて来る中、捕縛を免れ福岡に亡命していた晋作は、死を覚悟して帰国し藩論回復のため、遊撃隊士などわずか80 人ばかりの同志をひきいて決起。
当時、京都から落ち延びてきた討幕派の公卿7人のうち三条実美はじめ5人が功山寺にひそんでいた(五卿の間として功山寺に保存されている)が、晋作は私兵でない証とするため、五卿にあいさつしたのち下関へと駆けていった。。。
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いわば、その時点から一挙に維新回転への道が進み始めた訳ですね!!

エピソード

晋作と龍馬をより身近に感じられる場所が功山寺の境内に並んであります。
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下関市立長府博物館。収蔵品には、坂本龍馬の書状、湯のみ茶碗、伊藤家で写した写真、高杉晋作の愛玩したいた硯石。20年ぶりの長府で、風待ちが何よりも期待していたのが、新政府綱領八策(龍馬直筆)。
明治新政府の『五箇条のご誓文』の原案となったとされるもので、現在二葉残っており、国立国会図書館と長府博物館が所蔵。これを見たくて。。。がしかし、何処にも展示されていない。もしや常設ではない?以前、京都で龍馬展をやっていたときに長府からわざわざ運んできていたはずだから、無いわけが無いのであるが。。。 

複製は高知の龍馬記念館や海軍兵学校など、龍馬を語る資料館などで何度も見ていますが。。。やはり直筆の本物を見たかったなぁ。。。
そうか、入口のチケット売りのおばちゃんに尋ねてみればよかった。ちなみに、国会議事堂の憲政資料館の入口にもこの複製がででぇ~んと飾られているそうです!!

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by kazemachitaro | 2006-04-07 23:39 | 風の旅 維新

~晋作&龍馬の駆けた街 下関part5~龍宮の都 赤間神宮

晋作&龍馬が活躍した時代からさかのぼる事700年!!、
源氏が平家を滅ぼした壇ノ浦の戦いの舞台:関門海峡を目前にして立つ
赤い龍宮社殿、赤間神宮
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昨年のNHK大河ドラマ『義経』で描かれた事は記憶に新しく、二位の尼に
抱かれ幼くして入水し亡くなった安徳天皇が祀られています。
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元来は寺院でありましたが、神仏分離政策により阿弥陀寺は廃され、神社とし
安徳天皇社になったということです。敷地内には平家一門を祀る塚があり
「耳なし芳一」の舞台であることでも有名ですね。
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朱塗りの華やかな水天門は、二位の尼の辞世
  「今ぞ知る御裳濯(みもすそ)川の流れには波の下にも都ありとは」
             のごとく、栄華はなやかなりし竜宮をイメージ
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NHK大河ドラマでは、松坂慶子扮する二位の尼が安徳天皇を抱え、義経役のタッキーに向かって微笑んで入水するシーンがとても印象的でした。ちなみにその微笑むというシーンは脚本には無かったそうで、松坂慶子のアドリブ演技だったとか!!

エピソード

高杉晋作は奇兵隊の本拠を白石正一郎邸に置いていましたが、手狭になった為
ここ赤間神宮(当時は阿弥陀寺)に本営を移したとか。赤間神宮はれっきとした
安徳天皇御陵であり倒幕を進め、朝廷(天皇)を奉るという意味では最適の場所であったのかもしれませんね

さて、PART2でも触れましたが、明治維新以降、高杉晋作や奇兵隊を支えつづけた豪商:白石正一郎は、以降新政府に関わる事無く、神仏分離によってお寺から神社へと変わった赤間神宮の初代宮司(2代目との話も)になって余生を暮らしたとか。
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晋作が没する前、新政府の中心となった伊藤博文、福田恭平らに、晋作や奇兵隊のために屋台骨が揺らぐほど散財をさせた白石を頼むと言い残していたそうで、これを受けてか新政府から政商(日本国の指定の商人)の要請があったにもかかわらずこれを断り、豪商白石家は没落。

新政府での高官のほとんどが長州や薩摩出身者で占められていたことを考えれば、もったいないと言えばもったいない話ですが。。。商人としての彼なりに自らの役割と分をわきまえ、潔い生き方を選択したといってもいいのではないでしょうか。
西郷隆盛をして「温和で清廉、実直な人物である」と言わしめ、経済面で新時代を築き上げる人材を助けたスポンサー的存在であった白石正一郎は、まさしく、奇兵隊士として維新を成し遂げたわけで。。。兵どもが夢のあと。。。の心境だったのかもしれませんね!!
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by kazemachitaro | 2006-04-05 21:25 | 風の旅 維新

~晋作&龍馬の駆けた街 下関part4~桜山招魂社!!

桜山神社「さくらやまじんじゃ」
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高杉晋作は、戦死した同士の霊を慰め、また後に残る者も死を常に覚悟して時局に臨むため、生墳(生前に建立しておく墓)を築く必要があるとして、共同の招魂の場の設置を提唱しました。
これに賛同した奇兵隊員たちによって慶応元年(1865)、現在の下関市新地町に桜山神社社殿が完成されました。その裏には、明治維新に散った志士たちの霊標が396柱あり、中央には吉田松陰の碑が一段高く、その両側に高杉と久坂玄瑞、後方には維新に貢献したさまざまな人が身分に関係なく同じ高さの碑で祀られています。
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このような招魂場形式の神社としては日本初であり、後に大村益次郎の提唱によって建立された靖国神社のモデルにもなったとのことです。
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エピソード~靖国神社に祭られている幕末の志士

靖国神社には吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作など、江戸時代の終わり頃から明治時代のはじめにかけて国のために活躍した人たちが祭られています。有名な人物の中での例外は西郷隆盛。幕末から明治維新にかけて倒幕に向けて大仕事をした人物ですが、その後の西南戦争で反政府側に立ってしまった為に、現在も本殿には祭られていないとの事らしいです。

京都の霊山観音(護国神社)にも維新の志士達が眠る場所があります。
そこは、幕末から明治維新に関わった全国500人あまりの維新の志士のお墓や銅像、顕正碑、また近くには幕末京都の歴史を物語る霊山記念館、維新の道などがあり、幕末ファンにとってはたまらない場所で、もちろん晋作や龍馬のお墓もあるわけです。
そこからは京都の町並みが広く見渡せ、幕末への想いを馳せながら、それぞれ贔屓の志士を見つけ、どんどんその人物像に入り込み、全国に残る志士たちの足跡を辿るなんていうのもロマンですよね。。。

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by kazemachitaro | 2006-04-04 21:27 | 風の旅 維新

~晋作&龍馬の駆けた街 下関part3~晋作関門を望む!!

動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し
後の伊藤博文公は高杉晋作をこう評しています
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下関の山手にあり、関門海峡や響灘、九州の山並みを眺めることができる日和山公園の中心に立つ高杉晋作の胸像(備前焼)。昭和11年に除幕された銅像が、戦時中に供出されたため、
昭和31年4月に再建されたものだということです。

第2次世界大戦中、物資がことごとく不足している大日本帝国は、銃の弾になるようなもの、武器になるようなものは、すべてかき集められ、武器弾薬へと変貌させられていきました。お寺の梵鐘、校庭の二宮尊徳、銅像という銅像は皆、弾薬になる材料とされ、その姿は無惨にも「お国のために」と弾薬へと変えられていったのです。
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20数年前に訪ねたときには、ここから眺める下関の市街地には海響館(水族館)や海峡夢タワーは出来ていなかったような気がします。開発が進み、どんどん様変わりしていく港湾エリアや市街地の喧騒から離れたこの日和山の一角は、春になれば桜祭りが催されいつもに無く賑わいを見せるとか。
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ここへと続く狭く急な坂道や階段に幕末の名残が感じられ、ここを散策していたかもしれない晋作や龍馬に想いを馳せるには、格好のお気に入りの場所です。(この公園への階段も綺麗に整備されたような気が?)

銅像にまつわるエピソード

龍馬の故郷、高知の桂浜には太平洋を望む坂本龍馬の大きい銅像があるのは
有名ですね(高知市HPからの借り物写真)
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『こころはいつも太平洋ぜよ。。。』なんて喋る龍馬人形も流行りましたが、
戦時中、この龍馬の銅像だけは武器にも弾薬にもその姿を変えられなかったらしいです。
当時の海軍上層部の判断、太平洋を望む龍馬の銅像は、
今戦っている日本兵の姿をじっと見守っている。
その姿をつぶしてしまったら日本は負けてしまう、
「それだけはつぶしてはならない!」という海軍の判断だったとのことです。

また、幕末、軍艦奉行:勝海舟の門下生となった龍馬は、海舟の口利きで
幕府が購入した軍艦に乗り込み自ら操船術を学ぶ傍ら、神戸海軍操練所
設立に尽力。
操練所とほぼ同時に開設された神戸海軍塾の塾頭となりリーダー的な活躍を
していました。いわば、日本海軍創生期に大きく関わった人物。。。
広島/江田島の海軍大学校の資料館には、龍馬に関する資料や銅像の
ミニチェアが展示されています。龍馬の銅像だけが残された。。。
そこには日本海軍の歴史において龍馬がいかに大きく関わっていたかが
象徴される出来事だったのかもしれません。

おっと、晋作ファンの方、このエピソードは龍馬が晋作よりも大事にされた
というお話ではなく、海軍とのかかわりがあった龍馬だから銅像が残されたということで、もし晋作が龍馬だったら。。。晋作の銅像が残され。。。の展開だったかもしれないということです。。。誤解なきようにお願いしまぁす!!

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by kazemachitaro | 2006-04-03 22:54 | 風の旅 維新

~晋作&龍馬の駆けた街 下関~part2 2人のスポンサー!!

☆白石正一郎邸跡
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下関の幕末の豪商:白石正一郎。
北前船の交易が非常に盛んで、瀬戸内海と日本海が交わる下関で回船問屋
営んでいた彼は全国の情報に敏感で、熱心な尊王家であったそうです。
白石家は薩摩藩御用達であり、高杉晋作・木戸孝允・西郷隆盛・大久保利通や坂本龍馬など全国各地の志士が出入りしていました。
特に、高杉晋作に惚れこみ、莫大な私財を投げ打って、晋作が作った奇兵隊や
当時出入りしていた志士の活動資金を捻出し、自らも隊士として会計の役割をし奇兵隊結成の功労者とまで言われています。
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また、三条実美らの七卿を自邸に迎え匿ったり、坂本龍馬が斡旋した薩長同盟を薩摩藩御用達であった商人の立場から支援したとも言われています。
そんな豪商も明治維新以降は政商の要請を断り、初代赤間神宮の宮司として
余生を送り、豪商白石家は没落していくこととなります。
今は当時邸宅があった屋敷跡に石碑が残るのみです。

さて、晋作と共に明治維新の立役者となった坂本竜馬はといいますと、
土佐藩を脱藩後、下関の本陣伊藤家を本拠に活動していました。
☆本陣伊藤邸跡(借り物写真:下関市観光振興課さんから)
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伊藤家は、1300年頃から続く旧家で、加藤清正からもらった軍扇、豊臣秀吉の
朱印状
などが残されており、参勤交代時の西国大名の宿となる「本陣」を務める家柄だったとか。
幕末に入り、坂本龍馬との親交が篤くなり、海援隊など龍馬の活動に積極的に援助をしたり、妻お龍(おりょう)と下関に逗留していたときには、この家を自然堂(じねんどう)と命名し、薩長同盟に奔走したと言われています。
当時の竜馬の遺品の数々や、その他の維新関係の資料などが残されていたそうですが、その多くは戦災焼失し、屋敷も跡をとどめるだけとなっています。
龍馬が京都で暗殺されたときも、妻のお龍はここに滞在していたそうです。

晋作と白石家、龍馬と伊藤家、英傑にはそれぞれしっかりとした
バックスポンサーがいたわけですね。


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by kazemachitaro | 2006-04-02 23:43 | 風の旅 維新
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