~風吹くままに 心のままに~

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ポニョの故郷~鞆の浦~に想う

 宮崎駿監督は社員旅行で訪ねた鞆の浦の景観を非常に気に入り
 あの名作ポニョが生まれたのは周知のことですね。
 江戸時代の建物が数多く残る街並み。常夜燈や雁木、石垣でできた
 波止場など、古くから伝わる5つの港湾施設が今も揃うのは全国でも
 ここだけ。さらに時代の節目で歴史の表舞台に名を残すとてもロマンと
 趣のある街なのです。
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 さて先日、この瀬戸内海の小さな港町で海岸を埋め立て橋を架けようとする
 行政の25年来の計画に待った(裁判差し止め)が掛かりました。
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 理由は埋め立てやバイパス(架橋)建設により、歴史ある古き港町の
 美しい景観や文化財を損なう危険があるとのことですが、
 一方で、その歴史的景観を残す町ゆえに過疎・高齢化や、車が
 すれ違えないほど狭い道幅、建物の老朽化などの課題やそこに
 生活する人の便利さや快適な暮らしを求める権利をどう解消して
 いくのか。。。現実問題として頷けなくもないのですね。。。
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 確かに風。。。も5年前に訪ねて思うのは、駐車場が無い、道が狭い、
 観光客を受け入れるインフラが未熟。。。
 いまやETC1000円、果ては高速無料化?。。。で車では来られません。。。
 でも公共の交通機関も不便だし、観光客はどんどん増えているし。。。
 混雑しそうで行きたいけど行きたくない。観光地としての機能レベルは
 高くないのが実状なのです。

 さて、そこのところをこの方はどう考えていらっしゃるのか
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 『おまんらまかしちょき。。。ちがうとこにちくっと桟橋と大型駐車場作って
 いろは丸をいっぱいこさえて、海からシャトルしたらええがよ、
 それもソーラー船で海から鞆の景色を見ながら港に入ってくる。。。
 そうじゃ、この先の尾道と観光航路を作ったらJRの駅と港も近いし、
 尾道も楽しめるのぉ~、こりゃロマンぜよ。。。』
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 さすが海にロマンを求めた『坂本龍馬』さん
 この地には随分ご縁があり、港の常夜塔のすぐ横でいろは丸記念館を
 経営しておいでで、来年の大河ドラマの主人公はこの街も舞台にするはず。。。
 これで記念館を訪れる観光客が増えれば一石二鳥、なんてね、
 発言力ありそうだものねぇ(笑)!?

 ひとまず、風。。。も気になっていた開発ありきの計画の裁判による
 差し止めは、今話題のマニフェスト成果を焦る公共工事中止の賛否の中では
 好意的に受け止めたいですね。
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by kazemachitaro | 2009-10-03 01:32 | 風の旅 広島

国宝姫路城~チビの願い叶う~風待ち城シリーズpart7

 ETC効果もあり、今年は久しぶりに車で帰省することに。。。
 毎年田舎へ帰省した際、30数年前に作った姫路城のプラモデルを
 見る度にチビから本物を見たいとせがまれてた「国宝姫路城」
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 この秋より平成の大修理が開始され、修理が始まれば3年間は
 姫路城の外観が見えなくなるとの事でしたので、田舎への帰省がてら
 お城や世界遺産に興味を持ち始めたチビとともに10数年ぶりに
 姫路城に登城してみました。
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 法隆寺とともに日本最初の世界遺産となった姫路城は連立複式天守の
 優美で絶妙なバランスと櫓を結ぶ白壁や石垣のアクセントが見事に
 マッチした日本一の名城であることは周知の通りですね
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 現在の姫路城は豊臣秀吉が中国攻めの際に築城した3層の天守が
 原型となり、徳川初期、池田輝政が大改修を行って現在の姫路城の
 天守に近い姿になったのだとか。
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 この池田氏以降、徳川初期から中期においては、姫路城の城主は
 比較的短期間でコロコロと変わることとなり、徳川政権下での重鎮が
 入れ替わりながら領主となります。これは世襲にすると幼少の君主が
 必然的に生まれ、徳川初期から中期のまだ不安定な治世の中で 
 西国の外様大名の抑えにならないと判断されたためだと言われています。
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 また、中央集権の徳川政権下で、これだけの規模の城が地方都市
 である姫路に出来たのは、雄藩が多く残っていた西国外様大名が参勤
 交代で城下を通る際に、姫路城の規模を見せつけることで徳川の権力を
 誇示する(意気消沈)させる狙いがあったとも言われています。
 ちなみに、徳川初期の池田家は播州姫路、因幡鳥取、備前岡山と3国を
 収め総石高百万石「備前宰相」
とも称され、百万石に相応しい規模の
 姫路城であったともいえるのでしょう
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 築城以来400年、合戦の場になることもなく、戦争の空襲からも免れ
 落雷火災などの自然災害にも遭遇しなかったためか、天守を初めとする
 木造建造物の多くが当時のまま現存し、空間に見えるお城の角度によって
 立体感や遠近感が異なる優美さを感じられるまさに芸術的なお城ですね
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 夏空に映える白亜の天守で感じる風の心地よさは格別でした!!
 姫路城を間近で見たチビの感想いわく「かっこいい~」と、これまでテレビの
 ヒーローモノや乗り物の感想にしか出なかった言葉が初めて文化遺産に
 発せられました(笑)!!
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 その後田舎にたどり着き、姫路城のプラモデルを見ながら得意気に
 おばあちゃんへ説明する話が尽きることはなく、昨年の松山城、今治城、
 今年の姫路城、竹田城と夏の帰省の際のお城めぐりがここしばらくの
 恒例行事になりそうです。。。

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by kazemachitaro | 2009-08-14 12:32 | 風の旅 兵庫

2009年:富士山の主張?

  “ずんっ”今年のお正月も関東平野からは
  くっきりと富士山が見えました  
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  それも3が日連続、いやそういえば、
昨年のお正月3が日
一昨年のお正月元旦
  。。。3年連続で鮮やかな富士山を望むことが出来るなんて、
  いやぁ~めでたい♪
  それにしても毎年毎年、気前よく登場しすぎちゃうん?
  ふと以前見たニュースを思い起こしました。過去2回自然遺産として
  世界遺産登録が見送られた富士山。。。理由は遺産というに程遠い
  進みすぎた開発と汚染(登山ゴミや汚物)なのだとか。
  今は自然遺産での登録をあきらめ、文化遺産での登録へ方向転換?
  “ずんっずんっ”
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  。。。確かに古くから日本人の心の拠り所の一つであった富士山
  信仰面では文化と言えば文化。。。でもありますが。。。富士山そのものは
  人間が作ったモノではないしなぁ。。。なんてことから始まり、
  ブログをいじり始めてかれこれ2時間。。。というわけで???到達した結論
“ずんっずんっずん       
  『なんとかしてよ日本』 『がんばれニッポン』
  。。。富士山はもしかしてその存在感でアピールしてるのかもしれませんね♪
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  来年も正月3が日見えたら。。。怒っているのかも。。。『爆発したりして?』
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  標準だとこれくらいにしか見えません、
  荒川河川堤より、風待ち富士創論(アテ)でした(笑) 

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by kazemachitaro | 2009-01-10 01:42 | 風の旅 山梨

誇り高き赤レンガの風景。。。富岡製糸所

  誰もが歴史の教科書で一度は見たことのある
  赤レンガ作りの建物をもうひとつ
  前回記載の東京駅とならび東の三横綱に称されるのが
  「旧富岡製糸場」
(三つ目は横浜赤レンガ倉庫)
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  群馬県富岡市にある「旧富岡製糸場」
  明治維新直後、殖産興業のスローガンのもと
  明治5年に操業を開始した当時、世界最大規模の製糸工場で、
  ここで作られた糸の品質は
  世界でもトップレベルの評価を受け、まさに日本の産業技術発展の
  模範となった工場だと言われています。
  注目すべきは昭和62年操業を停止するまで実に115年もの間、
  建設当時のままの状態で使用されてきた赤レンガの建造物(倉庫)。
  明治政府が作った工場の中で唯一現存するものとして
  平成18年に国の重要文化財
にも指定されています。
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  中央入り口の上には明治5年のレリーフ
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  東繭倉庫(12メートル×104メートル)
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  西繭倉庫(12メートル×104メートル)
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  木骨レンガ造りといわれる木の骨組みにレンガを積み合わせた珍しい構造
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  組み方もレンガらしく美しいといわれる
  フランドル積み
という国内では数少ないとか
  繰糸場(12.3メートル×140メートル)
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  木造骨組みはトラス構造、操業を停止した当時の
  糸繰り機械もカバーを掛けられたまま。。。今にも動きそうです

  さて、昨年世界遺産の産業遺産分野で
  日本で初めて登録された「石見銀山」の記憶は新しいと思いますが、
  「富岡製糸場と絹産業遺産群-日本産業革命の原点-」も
  2007年暫定遺産リストに既に登録され、
  2012年の世界遺産登録が期待されています。
  しかしながらここ最近の猫も杓子も。。。のエントリー状態は
  「石見銀山」がそうであったように
  選定のハードルが少し高くなり楽観できない現状であることも
  否めないようです。
  日本の発展を支えた熱き情熱と誇りを象徴するかごとく
  色あせること無い赤いレンガの産業遺産、是非応援したいものですね。

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by kazemachitaro | 2008-10-25 03:46 | 風の旅 群馬

石見銀山 おめでとう 世界遺産登録

 2ケ月前、ユネスコの諮問機関「国際記念物遺跡会議(ICOMOS)」から
 世界遺産登録延期を勧告された、「石見銀山遺跡」が正式に
 世界文化遺産に登録されたとの事。。。
 昨年、石見銀山を訪ねていましたので、なおさらのこと嬉しいですね!!
 ※見学コース「龍源寺間歩」
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 一時は登録最有力候補とまで言われていましたが、正直、登録延期の
  勧告記事を読んだ時にはダメかなと思ってました。
  この2ケ月、政府は、英文110ページの反論書を作成するとともに、
  関係各国の担当者らと直接交渉するなど土壇場での巻き返しに
  奔走したそうです。政府ならびに地元の皆さんほんとにご苦労様でした。
  ※五百羅漢とそり橋 国指定文化財 
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 写真は銀山で亡くなった人々の霊を供養するため
 25年の歳月をかけて作られた五百羅漢が安置される石窟とそり橋。。。
 江戸時代初期、銀山発展の為に亡くなられた多くの方々の霊もさぞかし
 お喜びでしょう。。。
  
 一方で、これから多くの観光客が訪れるであろう地元の受け皿(銀山の
 入り口までの狭い道路やキャパのない駐車場など)は、今回世界遺産登録の
 ポイントとなった「周囲の自然を破壊せず、共生している」との評価に反する?
 早急なインフラ整備が必要だと素人目に見ても感じてしまいます。
 できるだけそのバランスを保ちながら、石見銀山の素晴らしさが世界に
 アピールされますように願っています!! 

 ※世界遺産登録エリアの紹介です
   世界遺産候補~石見銀山&大森の街並み
   世界遺産候補~石見銀山&銀山街道の町並み
   世界遺産候補~世界遺産候補。。。温泉津(ゆのつ)温泉郷散策
   世界遺産候補~堂々のファイブスター温泉 津温泉(ゆのつ)

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by kazemachitaro | 2007-06-29 22:58 | 風の旅 石見温泉津

厳島神社~ゆるやかな時間~

  世界遺産 厳島神社  古くは日本三景として親しまれ
  歴史の舞台としても数々のシーンに登場してくる厳島神社
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  広島を離れあっという間の1年、遥か平安の頃からのゆるやかな時間を感じられる場所が
  そろそろ恋しい。。。  
  というわけで、そんな厳島神社の魅力をリメイク板スライドショーにまとめてみました!!
  ◆遥かなる旅~厳島旅情スライドショー

  ◆遥かなる旅~厳島残照スライドショー


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by kazemachitaro | 2007-06-16 02:48 | 風の旅 厳島神社

世界遺産候補 石見銀山 大森の街並み

 石見銀山、大森町は銀山のふもとに伸びる街道沿いに栄えた町です。
 銀山の発展とともに、江戸時代には幕府の直轄天領として、政治経済の
 中心となり、武家屋敷、町屋敷、寺社、民家が街道沿いに細長く混在する
 珍しい街並み景観が当時のまま残っています
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 そんな江戸時代末期の面影が残る重要伝統的建造物群保存地区
 散策してみましょう。

 ●江戸亀井戸天満宮に似せて作られた城上神社
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 本堂には鳴竜といわれる天井絵が施され、その下で手をたたくと共鳴する
 音が竜が鳴いているように聞こえます。。。いやっそんな気がするかなぁ~???
 
 ●大森代官所跡
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 銀山経営の中枢、現在は資料館として、銀山で使用された鉱山道具や
 古文書、鉱石など約800点を展示。当時の採掘方法や銀山に関わる多くの
 人たちの暮らしぶ りなどがわかります。

 ●本堂や山門の「四脚門」が新緑に映える勝源寺
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 幕府直轄地であった為か、徳川家代々の将軍を祀る東照宮があります。
 夜な夜な水を飲むために抜け出したと云われる
 竜の彫刻や空想動物?の彫刻。

 ●重要文化財 熊谷家住宅
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 銀山町の中で最も大きい商家。写真撮影禁止であったため中を
 紹介できませんが、鉱山業、酒造業とともに代官所業務の代行も行っていた
 代々町年寄を務めた名家の立派な総漆喰建築様式を堪能できます。

 ●郷宿田儀屋の遺宅 大森では珍しい妻入形式。
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 郷宿とは公事宿のことで、代官所と近隣から銀山に働きに来る
 村人との間における諸事務の取次ぎや簡易宿泊所の役目を担ったとか。

 ●河島家住宅 
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 街道に面して門・土塀・庭などを設けられた武家屋敷住宅。
 上級役人の居宅であったとされるが、商家に比べると小さく質素。

 ●五百羅漢とそり橋
 国指定文化財(羅漢は写真撮影禁止の為パンフレットスキャン)
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 羅漢寺の崖に掘られた石窟に安置されている五百体の羅漢像。
 銀山で亡くなった人々の霊を供養するため、25年の歳月をかけて作られた
 もの。羅漢とはお釈迦様に従っていた五百人の弟子のことで、その様々な
 表情はここにお参りすれば亡くなった人に会えるといわれ人間と仏様の間に
 存在する状態を写しているとか。

 ●大久保石見守長安(おおくぼいわみのかみながやす)の墓
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 徳川家康の信任厚く、初代石見銀山奉行に任じられ、佐渡金山、伊豆金山、石見銀山の3奉行を兼任した天下総代官と言われるが、その役職を利用してか金、銀をこっそり抜き取り莫大な資財を横領、徳川忠長(家光と世継を争う)に加担していたとされ、一族全員死罪に処された謎多き人物として歴史小説にはよく登場して来ます。お金の魔力に翻弄されるのはいつの時代も同じだったというわけですね。。。!!
 
 ●街道沿いの町並み
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 格子や蔵窓が印象的である一方、一番最初の写真にもあるように、街並み
 保存地区のわりには電柱や電線が無造作に残り、一歩街道裏に入れば朽ち
 果てた家が放置されてあったりと、武家住居と町屋と民家が混在するのが
 特徴だという事なのですが、世界遺産候補の街並みとしてはもう少し整備
 されていてもいいように思え、味気なく一体感に欠ける印象がちょっぴり
 残念でした。


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by kazemachitaro | 2006-06-06 00:31 | 風の旅 石見温泉津

世界遺産候補~石見銀山&銀山街道の町並み~part1

☆世界遺産候補 石見銀山
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 16世紀、石見銀山は良質な銀を大量に生産し、貿易を通じて16世紀から17世紀の東アジアへ流通しました。そして、この頃金銀や香辛料を求めて自らの文明圏を越えて世界に活動範囲を拡げつつあったヨーロッパ人にもこの石見銀の存在は有名であったとされています。
その産出量は年間40tと推定され、世界の産出銀の約3分の1を占めていたとか。当時の世界地図にも日本の石見の表記は残り、ザビエルは当初、日本を銀諸島と記載していたなどの記録が残っています。
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見学コース「龍源寺間歩」
通り抜けコースとなっている坑道は全長273m。江戸時代に開発された龍源寺間歩の壁面には当時のノミの跡がそのまま残っており、また二十余りの鏈押し坑道(鉱脈に沿って掘り進んだ横穴)や垂直に100m掘られた堅坑を見ることができます。



  縦横縦1m・巾60cmの横穴掘りは大変な作業であり、熟練の堀子でも
  1日30cm掘り進むのがやっとだったということです(左:横穴 右:竪穴)。
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  これほどの大銀山ですから、日本史的に見ても戦国時代の始まる頃から大量の軍資金を必要とする大名の石見銀山を巡る争奪争いは絶えず、毛利元就が西国一の大名になった、豊臣秀吉の長期にわたる朝鮮出兵を可能にした、徳川政権が安定するまでの政治資金となったなど、時の権力者とは切っても切り離せない銀山であり、日本を代表する鉱山遺跡として1969年に国指定史跡となっています。

 近隣のエリアには、最盛期人口約20万人が住み、現在代官所跡町屋や武家住宅が当時の面影を残し、大森地区と銀山地区は、国の重要伝統的建物保存地区に指定(先日の温泉津温泉エリア含む)されており、鉱山遺跡として世界的に見ても大変な価値があるそうで、現在ユネスコ世界遺産候補の中でも有力候補に挙げられています。
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 疲労困憊の鉱夫をほっとさせるかのような間歩の出口に露にぬれる山野草が。。。次回は世界遺産候補&要伝統的建物保存地区の大森の街並みを紹介します。

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by kazemachitaro | 2006-06-05 00:51 | 風の旅 石見温泉津

世界遺産候補。。。温泉津(ゆのつ)温泉郷散策

 温泉津温泉の中心を走る温泉津港からの街道は、石見銀山街道と呼ばれ世界的に有名だった石見銀の搬出港、銀山への食量・物資搬入港として栄え、その街並は毎晩賑わいとても華やかだったと言われています。
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 石見銀山は次期世界遺産候補の中でも有力とされ、この温泉津温泉もその対象エリアとして、旧き歴史の面影を残しています。
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 温泉街には賑やかな歓楽街などが見られず、鄙びた日本旅館と町屋が両側に立地する静かな街並みです。この古風な温泉街は2004年(平成16年)7月、温泉街としては初めて国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
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 そんな温泉郷をしばし散策してみましょう。
 ☆共同浴場
 温泉津には「元湯泉薬湯」と「薬師湯」(旧名「藤乃湯」)の2軒がありごく近接した位置で湧出する別々の泉源を用いています。泉質には相違があり、元湯泉薬湯は開湯時からの源泉を利用していますが
他の旅館等への引き湯は行っていません。
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 右上の浴槽の写真は元湯HPの借り物写真です。
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 軒には切細工が施され元湯の風格が感じられます。長命館にはお風呂は無く、すぐ前の元湯を外湯として利用。それにしても。。。立派に旧い。。。3階立て?
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 元湯正面の広場には飲泉場。。。半熟の温泉卵の味が。。。 
 これに対し1872年(明治5年)の浜田地震によって湧出した薬師湯は湯気だしの塔や欄干、ステンドグラスなどの造りに大正浪漫のイメージを感じさせるモダンなつくりの休館と新館が並び、大正4年に建てられた旧館は温泉街のギャラリーに姿を変えて、現在は新館の営業になっておりここのお湯が各旅館へも引湯されています。
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 ☆龍御前神社
 石見銀山華やかなりし頃、頻繁に温泉津港に出入りした北前船の守り神として信仰を集めたとか。温泉街を見下ろす岩山にあり背後の岩は龍が大きく口を開けた様に見えるらしい。本堂の屋根の飾りが凝っています。
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 ☆内藤庄屋屋敷
 毛利元就の家臣であった内藤家四百年の歴史を伝える屋敷、土蔵。なまこ壁、玄関の大きな縄のれんなどが庄屋であり、温泉津一の廻船問屋屋敷にふさわしい面影を残しています(1750年頃の建物)
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 ☆温泉街
 浴衣に下駄の音とレトロ感たっぷりのみやげ物屋や日常雑貨のお店が立ち並ぶ街並みは温泉情緒をいっそう引き立たせ、癒しを求める観光客にそっと何かを語りかけてくれそうですね。
  
 ●呉服屋さんとお饅頭屋さん
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 ●酒屋さんと薬屋さん
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 江戸時代、この温泉津には加賀6千、越前3千、越後3千など、諸国の北前船が年間1万9千隻が出入りしていたとのことで、お寺のお墓には越前屋越後屋、佐渡屋などの屋号が並ぶお墓もあるとか。
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 浸かるもよし、飲むもよし、名湯温泉津の名前は季節風に乗ってやってくる諸国の船乗りの癒しの温泉でもあったのですね。。。
 フーテンの寅さん旅シリーズのロケ地になったのも頷けます!!

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by kazemachitaro | 2006-06-04 02:28 | 風の旅 石見温泉津

世界遺産の名画「最後の晩餐」~大塚国際美術館part3

  PART1で紹介したシスティーナ礼拝堂を描いたミケランジェロ
  ライバルと称されるのが巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチ
  彼が残した「最後の晩餐」は西洋美術史上の最高傑作と云われています。
  しかしながら、いくつかの戦災を経てこの壁画が残っているのは奇蹟に
  近いとまで言われてるほど痛みが激しく、1970年代まではその芸術的価値も
  よくわからないほどだったとか。これまで科学的技術をもとに、何度かの修復
  作業が行われその都度新たな発見もあり、この絵が物語る歴史的価値も含め
  世界遺産の壁画としてますますその価値は高まってきています。
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  絵自体は死期を悟ったキリストを中心に12人の弟子が食事をする中、
  イエスが裏切り者がこの中にいると言った瞬間の弟子達の驚きの表情を
  イメージしており、銀貨の袋を持ってのけぞるユダ(左から頭4人目)
  その人物だというのが通説ですが、ダヴィンチが意図するイメージに
  様々な謎を含むという見方もあることから、今話題になっている
  「ダ・ヴィンチコード」のような展開を生むミステリアスな絵でも
  あるわけですね(まだ小説も映画も見てませんが)。

  現在、現地でのこの絵は複数の扉によって外気との接触を減らし、観光も
  人数制限などをして保存活動がされています。具体的には
  ①閲覧は完全予約制で、数日前に予め電話をするかチケットの入手が必要
  ②閲覧時は予約時間の30分以上前に到着の必要
  ③一グループ最大25人までで、閲覧は15分程度に制限される。
  ④食堂の柵越しで近くで見ることが出来ない
  などの制約が多く、タイミングよく日本からのこの絵画を見られるツアーは
  少ないとのことです(最後の晩餐:wiki参照)。

  しかし、ここ大塚国際美術館では、修復前と修復後の最後の晩餐画を陶板画
  に写し、背中合わせに展示してあります。
  どれだけ見ていようが、近づこうが、手で触ろうが何の制約もなく、殆ど
  オリジナルに近い世界遺産の謎多き名画を今話題の映画&小説の内容と対比
  させ、じっくりと堪能できます(UPした写真は修復前とされるほうです)。


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by kazemachitaro | 2006-05-28 16:51 | 風の旅 四国
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 のんびり気ままな      ちょこ旅ブログです


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